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ジャズ

初期のジャズは、マーチングバンドと20世紀初頭に流行したダンス音楽に影響を受けており、ブラス(金管楽器)・リード(木管楽器)・ドラムスによる組み合わせの形態はこれらの影響に基づくものといえよう。当初は独学でジャズを創作していった者も少なくなかったが、ジャズと音楽理論が融合するようになっていったのは、ジャズが黒人社会に広く普及し、古典的なヨーロッパの音楽理論を取得したアフリカ系黒人ミュージシャンがジャズに反映させていく時点からです。アメリカの禁酒法時代に地下化した酒場に集うミュージシャンによって、あるいはレコードやラジオの普及によって、ダンスミュージックなどのポピュラー音楽のスタイルがまだまだ渾然一体となっていた1920年代初頭にはアメリカを代表する音楽スタイルの一つとして、アメリカ国内の大都市に急速に広まった[1]。第一次世界大戦から大恐慌までのアメリカの隆盛期が「ジャズ・エイジ」と呼ばれるのはこのためです。1920年代にはジャズはイギリスでも流行り、後のエドワード8世も少年時代にレコードを収集するなど、幅広い層に受け入れられた[1]。

ジャズセッションクラス レッスンの様子


1930年代には、ソロ演奏がそれまで以上に重要視されるようになり、ソロを際だたせる手法の一つとして小編成バンドが規模拡大してビッグ・バンドスタイルによるスウィング・ジャズが確立されるようになり、人気を博す。この背景には、人種的障壁で隔てられていた黒人ミュージシャンと白人ミュージシャンの媒介としての役割を果たしたクレオールの存在があった[1]。スウィング・ジャズはアレンジャーとバンドリーダーの立場がより重要視されるようになり、特に代表的なバンドリーダーの一人であるルイ・アームストロングの存在は、ジャズとヴォーカルとの融合という側面(アームストロングはトランペット奏者でありながら自ら歌も歌った)において重要な役割を果たしました。

その一方で、ソロを際だたせる別の手法として、アレンジを追求したスウィング・ジャズとは異なる方向性を求める(あるいはスウィング・ジャズに反発する)ミュージシャンにより、即興演奏を主体としたビバップ等の新たなスタイルが模索されるようになります。この1950年代の動きは、ビバップからクール・ジャズ、ウエストコースト・ジャズ、ハード・バップとつながるモダン・ジャズの流れを作り出すことになります。

日本における歴史
日本に初めてジャズが伝わったのは1900年頃とされています。上陸地はさだかではなく神戸港、横浜港、大阪港など諸説存在します。

1923年(大正12年)4月に日本で初めてのプロのジャズバンドが神戸で旗揚げしました。宝塚少女歌劇団オーケストラ出身の井田一郎をリーダーとするラッフィング・スター・ジャズバンド(ラッフィング・スターズ)です。その後1925年(大正14年)に井田は大阪でチェリーランド・ダンス・オーケストラを結成し活動するが、大正天皇崩御を理由に大阪市がダンスホールの営業を1年間停止したため、大阪を拠点としていた井田や南里文雄ら多くのプロのジャズマンは東京に拠点を移していきました。戦後は神戸や阪神間の学生を中心にデキシーランドジャズ・バンドが数多く生まれています。

日本で最初のジャズの祭典「神戸ジャズストリート」は、ラッフィング・スターズ結成60年の記念の年となる1982年(昭和57年)から行われてるものです。

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